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揺れる [街]





風に揺れるコスモス。

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僕もときどき揺れ動きます。
ナニに揺れ動くのかは棚に上げておきます。

風に揺れるフウセンカズラ。

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秋の風、気持ちいいですよ。



話しは変わって、弁当。
近頃、家で作られた弁当とおぼしきものを持ったサラリーマンをよく見かけます。
栄養管理なのか経費節約なのか昼休み時間の有効利用なのか、さて。

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写真のサラリーマン氏、右手に持った青い袋に入っているのは弁当だと勝手に推測です。
誰が作ったのかはこの際、モンダイ外としておきましょう。
ナニを食おうかと考えなくていいのと、開けたときのささやかな驚きと喜びが弁当のいいところだと勝手に決めています。
(自分で作ったのなら話しはベツですけれどね)
弁当族ではない僕、ちょっとだけ羨ましいけれど、毎日持って行くのはたぶん面倒くさい。
作るお方はもっとメンドクサイのかもしれませんけれどね。

さて、明日の昼飯はナニを食おうかな。
時間と金に余裕があれば鰻かステーキを食いたいものですよ。
ナニを食おうか、いつもココロは揺れ動きます。
食欲の秋、真っ最中です。



あしあと(148)  コメント(8)  トラックバック(0) 
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あしあと148

コメント 8

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aru

おはようございます。
会社務めは23歳の時から約10年間しかしてないのですが
妻の都合で「お弁当」と「外食」を繰り返したような。
記憶が定かではありません。
どんなお弁当箱だったかが思い出せないのです。
by aru (2016-10-16 01:41) 

tommy88

「風に揺れるコスモス」、いーや、ちっとも揺れてへん。と、冒頭からケチを付けるのは、もうすでに、あざ笑うがごとく清楚に透明に美しく写し撮っていらっしゃるからですよ。私も皆さんのように、ただ空き地に咲く雑草コスモスを、太陽めがけて裏側から映したり趣向を凝らしてドヤ顔でしたが、本日、完敗ションボリ、美しいじゃありませんか。ナショナルギャラリーの学芸員ならなんと説明するのでしょうか。小説や舞台に「時」はありますが、一瞬を切り取る寫眞には「時」が流れておりません。絵画なら加筆修正も可能ですが、寫眞はそれこそ一瞬芸術。そこに、撮影者が何を感じ何を読み取ったかを考えるヒントは、光源です。光がどこから差しているか、そして撮影者がどこに立っているか、まずはそれを見極めねばなりません。・・・なんてね。4つある花の中で焦点が合ってるのは、ど真ん中よりちょい下のコスモスでしょうか。この花、透けて見えるのが不思議ですが、そこに不思議発見の感動があるいるさんでしょうか。この寫眞を褒めちぎりたくて、湯川学の表現を借りるなら「実に、美しい。」です。

お弁当は道北の高校に勤めた年が初めてです。赴任した年内に、今の妻が追っかけてくることになっていて、夏休みには彼女も公宅の下見に来ていました。私も一緒に住むつもりで、いわゆる電化製品も所帯持ちモードで購入しておりました。予定外の出費は、想像を絶する冬の寒さに、バカでかい設置型ストーブを買ったことぐらいでしょうか。それは正解で、数年後の1985年1月24日にはマイナス35.9℃を経験しています。・・・ん? 話がそれています。お弁当の話でした。お嬢様だった彼女は、いわゆる花嫁修業めいたモノをしておりましたが、それでも料理に関しては今のようなマッハの早業はなく、ものすごい時間をかけて作っておりました。いちどは泣きながら作っていて、「いいよ御飯にふりかけだけで」って言ったりもしました。子どもたちが札幌に帰ってきて、まだ泳ぎにいってた頃も、「お母さんのお弁当が食べたい」と外食よりも金のかからない妻の弁当になっておりました。考えてみれば私もずっと妻のお弁当族だったので、娘たちの言い分が理解出来ます。写真のサラリーマン氏のように弁当用の別袋を持ってお出かけでした。困るのは弁当箱を持ち帰り忘れることです。持っていくのは別に良いのですが、空の弁当箱を持って帰るのは、少しばかり面倒くさいことでした(内緒の話です)。初代の弁当箱は象印の、3段構造保温型です。一番下が味噌汁、真ん中が御飯、最上段がおかずです。かなりの長期にわたって使いました。その後は、ミーハーに、ミスタードーナツでもらったお弁当箱ですが、たくさんの種類を使っておりました。お弁当という対象は、よくよく考えるに、奇跡的な時間だったと思います。少なくとも私の妻への、裏切ることの出来ない感謝の源でしょうか。母ですら出来なかったことです。だからと言うわけではありませんが、今日は妻の好む「辛子レンコン」に挑戦です。

by tommy88 (2016-10-16 07:38) 

Lonesome社っ長ょぉ〜

コスモスと聞くとなんとなく寂しいと連想してしまうのはきっと百恵ちゃ
んのせいです。軽井沢にコスモス街道というのがありますので、賑や
かに鑑賞する時はここを車で走ります。
私も通勤時弁当持参の人を多く見かけます。いかにも中身は弁当だ
と分かってしまう手提げで運搬されています。幼稚園と小学校の
運動会以外はあまり縁がない弁当です。
by Lonesome社っ長ょぉ〜 (2016-10-16 16:11) 

SILENT

インドでは家で作ったお弁当を運ぶ、運び屋さんまでいる風習、何か好きですが。外食より弁当のある風景日本でもいいですね。


秋桜もゆれて弁当歩き去り



by SILENT (2016-10-17 03:22) 

あるいる

aruさん

コメントありがとうございます。
サラリーマンも内勤の方と外回りの方では昼飯に求める条件もそれぞれ違ってくることでしょう。
超多忙の方は昼飯というよりも空腹を満たすための「餌」感が強いかもしれませんし、昼飯は早く安く不味くなくというというの僕の三条件でした。
会社勤めの10年間、昼飯の記憶が残らないほどに関心ごとが他に向いていたのかもしれませんね。
たしかにそんな時代は僕にもありました。
今は昔、です。

by あるいる (2016-10-17 03:38) 

あるいる

tommy88さん

コメントありがとうございます。
風に揺れるコスモスを撮ろうとしたのですが、腕が伴わないままにイメージだけが先行し出来上がった写真です。
僕の記憶の中でコスモスは確かに揺れ動いているのですが、写真に表現できていなければ揺れていないのと同じですね。
看板に偽りあり、ごめんなさい。
ごはんだけを詰め込んだ弁当のほかに作ってもらった記憶が全くない僕、弁当にする願望なのか憧れなのか不思議な気持ちがずっとあります。
愛情というかたちの見えないものの具体的なかたちのひとつなのかもしれません。
愛情に飢えていたわけではなさそうなのですけれどね。
食い物の恨みではないのですが、広い意味での食い物に対する記憶だけは豊富にある僕です。
食えたか食えなかったか、美味いか不味いかとはまた違った次元での記憶ですけれどね。
早い話しが、ただのいやしんぼうだったのかもしれません。
そこが恥ずかしい、です。

by あるいる (2016-10-17 03:52) 

あるいる

Lonesome社っ長ょぉ〜さん

コメントありがとうございます。
何年か前までは大阪の街中にある公園や河川敷にも季節がくればコスモスが咲き乱れていたのですが、いつのまにか見かけなくなりました。
公園の手入れをしていた公園事務所の方に聞いたら、予算が減って手入れとコスモスを植えられなくなったとの返事でした。
公園のベンチに座って弁当を食べるサラリーマン諸氏も多いのですが、目に入るやさしい花や緑の光景が見られなくなり残念かもしれませんね。
大阪の街から潤いというごちそうが消えて行きそうですよ。

by あるいる (2016-10-17 03:59) 

あるいる

SILENTさん

コメントありがとうございます。
近頃では弁当屋さんやコンビニ弁当だけでなく、街の飲食店までもが弁当を売り出していて、いろいろと種類が増え昼飯が楽しくなってきているようです。
ひるどきのビジネス街、そんな弁当を買い求めて歩く方が増えているようです。
なんだか少しだけほっとできるような光景です。
食べ物がもたらせてくれる安心感につながるからでしょうか。

by あるいる (2016-10-17 04:09) 

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